平成29年4月6日、梅原徹著の『吉田松陰―身はたとひ武蔵の野辺に―』を読破した。

平成29年4月6日、梅原徹著の『吉田松陰―身はたとひ武蔵の野辺に―』を読破した。

 私は、吉田松陰先生を最も尊敬しており、何冊も吉田松陰先生関連の書籍を読んでいるので、新しい事実を知ることはなかったが、それぞれの筆者における吉田松陰先生像があり、多角的な視点は得ることができた。


 第四章の松下村塾の誕生において、松陰先生の素晴らしい教育理論は記載されている。賢愚の差は確かにあるが、どのような人間にも何らかの才能はあるものであり、これをうまく引き出していけば、必ず立派な人間になることができるという教育理念(187頁参照)。松下村塾での偉人の輩出もそうであるが、野山獄での囚人への教育など、高邁な理念を実践した松陰先生の偉大さを再認識させられた。長所の伸ばし、短所を矯める。
誰からも強制されたわけではなく、自らの意思で学舎へやってきて、自らが学びたいことを自らが思うように学んだのであり、学習の全てを自らが決定する(249頁参照)。教える自由と学ぶ自由が本当に保障された教育の場である松下村塾を教育の原風景、理想と位置付けている(250頁参照)。私は、封建社会の中に存在した先駆的な民主主義を松下村塾に見出している。

 この書籍を読んで疑問に思ったことがある。この書籍の著者の海原徹氏は、久坂玄端は、僧月性の紹介で松陰先生と知り合ったと書籍中に記載している(167頁)。私は、宮部鼎蔵が久坂と松陰先生を引き合わせたと思っていた。奈良本辰也著の『一番詳しい吉田松陰と松下村塾のすべて』という書籍には、久坂は宮部鼎蔵の紹介で松陰先生を知ったと記載されている(奈良本辰也著  『一番詳しい吉田松陰と松下村塾のすべて』 150頁参照)。古川薫著の『松下村塾と吉田松陰―維新史を走った若者たち―』という書籍では、久坂は、土屋蕭海の紹介で松陰先生に手紙を書いたと記載されている(古川薫著 『松下村塾と吉田松陰―維新史を走った若者たち―』132頁参照)。松田輝夫編著の『吉田松陰と塾生―松陰の塾生についての記録集―』という書籍では、久坂は、宮部鼎蔵から松陰先生の人となりを聞いて松陰先生に手紙を書いたと記載されている(松田輝夫編著 『吉田松陰と塾生―松陰の塾生についての記録集―』81頁参照)。木村幸比古著の『図解・吉田松陰―幕末維新の変革者たち―』という書籍では、久坂は、宮部鼎蔵から松陰先生の人となりを聞いて松陰先生に手紙を書いたと記載されている(木村幸比古著 『図解・吉田松陰―幕末維新の変革者たち―』80頁参照)。
 また、書籍中に松下村塾生の一覧表が掲載されていた。高杉晋作の禄高は、第二位の200石で、第一位は、木梨平之進の265石だった(162頁参照)。加えて、吉田松陰先生が、「兵要録」を佐藤寛作(信寛)氏から学んでいたことも記載されている(34頁参照)。

 佐藤寛作(信寛)氏とは、岸信介元首相、佐藤栄作元首相の御先祖様、つまり安倍晋三首相の御先祖様である。つくづく素晴らしい御家系だと思った。
 この書籍を読破した過程で、私は、著書の海原徹氏は、実は松陰先生を単なる研究対象としか思っていなくて、あまり好きではないのではないかと感じていたが、「あとがき」を読んで、それが私の誤解であり、海原徹氏の松陰先生愛を知ることができた。

今回、松陰先生の書籍を読み、原点回帰をすることができた。