平成29年9月18日、磯田道史著の『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』という書籍を読破した。

平成29年9月18日、磯田道史著の『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』という書籍を読破した。




平成29年8月26日、司馬遼太郎原作の『関ヶ原』という映画を観た帰り、余韻もあり、タイトルから司馬さんについて書かれている本だと思い、つい購入してしまい、読破してしまった。


「温故知新」。歴史とは、古きから新しきを知る教科書である。


歴史上の人物の行った功績から何が大切なのかを学び、歴史上の人物の行った失敗から同じ過ちを犯さないようにする。人生の教訓集である。本書でも「過去を例に、どうしてそうなったのかを知っていれば、現在や将来に似たような局面に出くわした時に役立つ」(17頁参照)、「国民性は100年や200年単位でそう簡単に変わるものではありません。であるならば、20世紀までの日本の歴史と日本人を書いた司馬遼太郎さんを、21世紀を生きる私たちが見つめて、自分の鏡として未来に備えていくことはとても大切です」と記載されています。


私は司馬遼太郎さんの作品が大好きである。しかし、司馬さんが小説家だということも分かっている。小説には、多大に脚色があり、事実でない部分がある。それは小説であり、小説家であるから許されるものであり、歴史学者とは立場が違う。そのため、司馬さんが小説家であることを踏まえて司馬作品を読むことも重要である。


小説であるので、司馬さんの描く主人公の躍動する姿を単純に楽しめばいいとも言える。『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』の中で、著者は、藤沢周平と司馬さんを比較し、藤沢氏を静態の文学、司馬氏を動態の文学と述べていた(24頁参照)。私も司馬文学の魅力は、躍動する主人公の姿だと思う。主人公が疾風のように駆け巡る姿に惹きつけられ、主人公に傾倒してしまう。そんな魅力ある小説が司馬作品である。素直にその魅力を味わうのも司馬作品の楽しみ方だと思う。


また、歴史学者ではなく、小説家であるからこそ、司馬さんの思いが作品から読み取れる。主人公を通じて、司馬さんは、この小説で何を伝えたいと思っているのか?このことは非常に重要なことである。温故知新の糧になるかどうかは、この点を読み取れるかにあるのだ。


加えて、『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』の中で、徳富蘇峰氏を紹介していた(15頁参照)。以前、私は、徳富蘇峰著の『吉田松陰』という小説を読んだことがあり、徳富蘇峰記念館にも行ったことがある。松陰先生の手紙等を見学した。徳富蘇峰氏は私の好きなジャーナリストの一人である。


次に、本書では、三英傑と明治維新の偉人から変革の仕方が浮き彫りにされている。革命の三段階である。①預言者、②実行家・革命家、③革命の果実を受け取る権力者が革命のプロセスであるということ(38頁参照)。


著者が『花神』を司馬遼太郎全作品の中で最高傑作だと紹介していた。私自身は司馬さんの最高傑作は『世に棲む日々』だと思っているが、この意見を称賛したい。ミーハーのように『龍馬がゆく』を挙げないところに様々な司馬作品を読んだ中で、自分の中での一番を決めているという姿勢に共感が持てた。


統帥権の話については、軍部が暴走し、戦争へ突き進んだ要因であろう。統帥権が天皇陛下の権限でありながら、結局、実質上、天皇陛下には判断することも決定権もなかったということ。軍は検討した結果を天皇に上奏するだけで、天皇の意志をしばしば無視して押し切ってきたのである(165頁参照)。この章を読むと、私は、北朝鮮に全く興味がなく、北朝鮮人に知り合いはいないし、知り合いになりたいとも思わないが、今の北朝鮮が戦争に突き進んだ時期の大日本帝国に類似していると感じてならない。そっくりである。北朝鮮の中に鬼胎が産まれたのであろう。


司馬さんの遺言について。日本人の最も優れた特徴である「共感性」を伸ばすことへの勧め。いたわりを持ち、他人の痛みを自分の痛みと感じること。どうしたら相手は辛いだろう、どうしたら相手は喜ぶだろうといった、相手を慮る心が日本人は非常に発達している。その特徴を伸ばすことを勧めている(177頁参照)。確かに、この気持ちを持って社会が運営されれば、無意味な争いはなく、いじめ問題も起きず、素晴らしい社会が創造できると思う。これが司馬さんの願った社会なのだろう。


司馬さんは昭和史の小説を書いていません(183頁参照)。私見ですが、司馬さんは昭和については、敢えて書かなかったのではないかと思っています。「走る棺桶」とでもいうべき戦車に乗せられた司馬さん(73頁参照)の大日本帝国の軍隊への感情が強すぎて書けなかった。また、この時期に司馬作品に合致するような主人公がいなかった。戦争へと突き進む大日本帝国に対して逆らった政治家?高橋是清など、数名しか思い浮かばない。司馬作品に合致する躍動感ある主人公になりうるのか?司馬さんは、敢えて書かなかったのではないかな。


この書籍を読み、司馬さんが亡くなったことへの寂しさをひしひしと感じた。ジョン・レノンの新曲が発表されないように、今後、もう司馬さんが執筆した新作を読むことはできないんだなという喪失感である。